岩城賢一の「ぽろ塾」

佐賀県で水球指導をしている岩城賢一のブログです!

日本代表への道のり〜「好き」→「嫌い」その先に〜

こんにちは、岩城賢一です。

 

今日は私の学生時代の頃の話をしたいと思います。

(果たして需要はあるのか?)

 

私は、高校から日本体育大学に進学した時に、先輩たちとの圧倒的な実力差に圧倒されました。

 

そんな中、私は自分の中にあった小さなプライド

邪魔して消極的なプレーばかりでした。

「...失敗したくない」

 

特に、シュートは苦手分野でしたので、来たボール全てパスしていました。

(泳ぐのは得意だったのでカウンターには行けるのですが、シュート打ちたくなさすぎて「逆サイド、竹井(昂司選手)はよ来い!」と思っていました。

 

そんな消極的なプレーヤーであったため、練習試合でも平々凡々。

ジュニアや高校では、井の中の蛙状態だったため、非常に落ち込んでいました。

し・か・も、次の年には高校生から日本代表の志賀光明選手が入学。

年上にも敵わない、年下にもスゲーのが入ってくる。こりゃ大変だ!

 

...そして、次第に水球が嫌いになっていきました。

 

「好き」から「嫌い」へ

 

そして、母に電話をしたのでした。

いわき「俺、日本代表目指すのやめるわ」

母「10年間やってきて、あとちょっと(数年)の競技生活なんだからもう一度初心にもどって「好き」とか「楽しむ」を追求してみたら?」

 

 

その日から、日本代表を全く目指さない、趣味で水球をする男「岩城賢一」が誕生したのでした。

(本当に、いわきに関わってくださった皆さんにお詫び申し上げます。)

 

そして、そのシンプルに水球を楽しむ男(いわき)は、練習中にも、

 

同じサイドで後輩の志賀光明選手から、

 

志賀選手「いわきさん、なんでさっきシュート打ったんですか?」

 

いわき「ごめん、打ちたかってん。」

 

志賀「逆サイド、空いてたじゃないですか?あそこはパスのほうがいいですよ!」

 

いわき「シュート打ちたすぎて、全然逆を見てなかった!今度は見とくわー」

 

(...みっちゃん(志賀選手)には、いっぱい苦労かけたなー。

     東京オリンピック応援してます。いや、見にいきます!)

 

好きから嫌い、その先へ

 

今までは、「日本代表になりたい」という気持ちが強く

下手だから)「上手くなりたい」

失敗しないように)「頑張る」

 

という、ネガティヴ思考からくる努力であったのが、

 

日本代表を諦めてからは、「最後まで水球を好きでいよう」という気持ちが強く、

活躍できたら楽しいから)上手くなりたい

好きだから)頑張る

 

といった、自己中心的(「自分」と「好き」に特化した)努力に変化していきました。

 

「自分」だけにフォーカス(集中)した時に、(他人からの評価や他人との比較といった)雑念が消えた。

 

「好き」だけにフォーカスした時に、ネガティヴな感情から解放された。

 

そして「突き抜けた」そんな気がします。

 

水球お祭り男になった)その次の年の代表選手選考会でU-22カテゴリのユニバーシアード大会の選手に選出してもらい、

大学4年生には、A代表として選出してもらいました。

 

今振り返ってみると、

日本代表を諦めたその瞬間、自分自身が伸び悩んでいる理由が明らかになった

のではないかなと思います。

 

そして、「諦める」の語源は「明ら見る」だそうです。

物事の本質を明らかにしてしっかりと見る。

 

私が、明ら見た(諦めた)のは、

・日本代表選手以外はダメだ。だから今の自分はダメだ。というネガティヴ思考

・年下の選手に負けてはダメだ。という固定概念

・苦しいことをするのが努力だ。という自己満足

 

見栄とプライドを捨てた瞬間、楽になったってことですかね?

 

 

 

 

 

いま、水球がが嫌いな君へ

 

 

最初の「好き」は大変さや苦しさをまだ「知らない」好きなんだよね。

次に、頑張れば頑張るほど、湧き出てくる「いやだ」「やめたい」といった嫌いになる気持ち。

これは、大変さや苦しさを感じるくらい本気で取り組んでいる証拠!よくこの境地にたどり着いた。そして、あともう少しだ。

 「好き」「嫌い」その先にあるものを味わった上で「俺は水球が好きだ」と言えるようになった時に、世界が広がり、目の前がフッと明るくなる時が来る。

 

 

もし、私が教師という仕事に就いていなかったら、ただの自分の経験談で終わってしまうと思うのですが、指導者として、選手が水球という競技に出会い、苦楽を共にする仲間たちと切磋琢磨していく。その中で、悩み苦しみ、時には「先生、辞めたいです」といってくる子もいる。

でも、それを乗り越えた選手は、総じて「その先にあるもの」を見ているような気がする。

 

これは、私なりの定義だが、

この「好き」→「嫌い」→「その先にあるもの」こそが、

一流を目指す唯一の道のりなのではないかな、と思います。

 

これは、水球に限らず、趣味や仕事でも同じかな。

「嫌い」になるくらい本気で取り組んでいるか?

そして、その苦しいことを忘れるくらい「夢中」でやってるか?

 

いつも自身に問いかける今日この頃。

(↑とかカッコつけるところがダサい)

 

最期まで読んでいただき、ありがとうございます!